2015年10月28日

巷に衝撃を走らせた映画人の死 の巻

『キネマ旬報 2015年9月上旬号』で雑談する会

無知「《追悼・高橋治》の篠田正浩監督の貴重なエピソード満載の追悼文は
          資料的価値が高いでしょ」

雑誌部「昭和28年に篠田監督と高橋監督が松竹大船撮影所に同期
      入社したときは八人募集するところに応募者三千人≠ニいう
      狭き門だったんですね(゜ロ゜)  」

三畳間「篠田監督が語る松竹の助監督話は興味深い ( °_° ) 」

雑誌部「助監督とは何か。映画はビジネスマンには作れないし、芸術家は
      ビジネスが苦手である。しかしビジネスと芸術を組み合わせ
      なければ作れないのが映画なので、教育体験をしなければなら
      ない。それが松竹の場合は助監督という職業だったんです。
      肉体労働だし、人と人を繋ぐ役割。でも監督は助監督に煙草を
      買いに行かせるなんてことは絶対にせず、未来の監督になる
      ための贅沢の仕方を教える。大船の助監督の中にはオーダー
      メイドの背広を着ていたものがいました。そして松竹の撮影所
      では“脚本というものが映画の命”だと。なので監督になる者は
      脚本を書けなければならない。だから小津安二郎、木下惠介、
      大船の監督はみな名脚本家だった。社長の城戸四郎が“映画
      監督とは?”をヨーロッパで学んできたため、監督と脚本の
      両方を一人が担う。だから障子の開け閉めだけで泣いたり
      笑ったりできる世界を作ることができたんです=v

三畳間「昔の映画界は監督も俳優も次世代にちゃんと贅沢の仕方を教えて
       くれていたんだけど・・・今は節約の仕方を教える事は
       あっても贅沢の仕方は教えてくれないだろうなぁ(゚〜゚) 」

無知「今、テレビ局が作っている映画で脚本が映画の命って考え方をしている
        作品なんて数えるくらいしか無いでしょ (´゚ε゚`) 」






雑誌部「足立正生監督が語る《追悼・沖島勲》で話題になった沖島監督が
       日大時代に自習製作した殺し屋の映画は気になりますね」

無知「黒スーツで動き回っているのに、鉄砲ひとつ撃たないし人も
           殺さない℃Eし屋の映画なんだ (°д°)  」

三畳間「幻の作品のフィルム、現存している可能性があるなら
          一周忌とかで上映されたりしないかな?」

雑誌部「去年、足立監督に沖島監督が話した撮りたい映画の話は
          スゴいですね(;゚Д゚)  」

無知「死ぬ前に作るのは現状から日本を革命する映画
      原発も許せないけど、それで生きている日本の政治を全面的に
       攻撃するものを作りたい≠ニ仰っていたんだ(゚A゚;)  」

三畳間「若松監督も死ぬ前に面白そうな企画を抱えていたんだよね」

雑誌部「731部隊の企画の他に原発問題や沖縄戦、白虎隊などが予定として
            あったみたいですからねぇ」

無知「若手の監督が手を出さない題材ばかりで・・・」

posted by クロ at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記